[ PROJECT 04 ]

日本を一つにする
国家プロジェクト「飛騨変換所」。
前例なき難工事に挑んだ、
技術者たちの8年間。

2011年に発生した東日本大震災をきっかけに、周波数が異なる東西間での電力の融通が大きな問題となった。折しも電力自由化の時代。これら時代の要請を受けて動き出したのが、重要送電設備等指定第一号となる国家プロジェクト「飛騨変換所」の建設だった。

[ PROJECT 05 ] [ PROJECT 05 ]

PROJECT MEMBER

    • 中部電力パワーグリッド株式会社
    • 送変電技術センター 直流グループ

    菊地 佑輔

    • 2009年入社
    • 工学研究科 電気電子工学専攻 卒業
    • 中部電力パワーグリッド株式会社
    • 送変電技術センター 直流グループ

    中信 公志

    • 2010年入社
    • 工学研究科 電気電子工学専攻 卒業
    • 中部電力パワーグリッド株式会社
    • 送変電技術センター 送電施設課

    尾崎 英祐

    • 2010年入社
    • 理学研究科 物質理学専攻 卒業
    • 中部電力パワーグリッド株式会社
    • 送変電技術センター 飛騨直流連系工事所

    西垣 勇輝

    • 2011年入社
    • 工学研究科 電気工学専攻 卒業
STORY 01

この身震いは、寒さのせいか、
予想される苦難のせいか。

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、各地に甚大な被害をもたらした。特に電力供給の面においては、福島第一原子力発電所の事故により東京電力管内の電力需給が逼迫。計画停電が実施される非常事態となった。
問題は、周波数が異なる西日本(60Hz)と東日本(50Hz)間での電力の融通だった。片方の電力に余裕があっても、周波数が異なるためそのまま送ることができない。周波数を変換して融通し合う施設は震災当時にも存在はしていたが、送電容量がまったく足りなかった。
設備の新設によりこの容量を増やし、東西間の相互応援能力を高める国家プロジェクトが動き出したのは2013年のこと。2021年度末までの8年間で完工するという計画だった。岐阜県と長野県をまたぐこの一大プロジェクトにおいて、岐阜県側に設置される「飛騨変換所」の建設を担ったのが中部電力(当時)だ。

2014年、入社して5年が経ったころの菊地に声がかかった。まだ20代だった。
「地図に残るような大きな仕事がしたいという想いは、確かに入社当初から抱いていました。ただ、いきなり国家プロジェクトにアサインされて驚くと同時に、正直『自分にできるのか』という不安もありました。それでも、これだけの規模の新規プロジェクトに参加できるチャンスは滅多にないことですし、当時はワクワクする気持ち方が上回っていましたね」(菊地)

菊地は予算管理から資材発注、現場の管理まで幅広い業務を担い、このプロジェクトの中心となって動いた技術者の一人だ。確かに胸は高鳴っていたが、決して浮ついてはいなかった。着工前から相当な困難を覚悟していたという。

「建設地は日本有数の豪雪地である飛騨高山です。本格的な工事が始まる前に、冬季の積雪量を知るために現場調査に行ったんです。するともう3月だというのに雪が2m以上積もっていて、一面の銀世界でした。想定よりはるかに長い期間の冬季休工が予測され、身震いするような気持ちでした」(菊地)

6万㎡に及ぶ広大な用地造成から始まる巨大工事としては、8年間という工期はかなり短い。スタート当初は非現実的なプランに思えたという。

「2021年度末完工はあくまで目標でしたが、自然災害がいつ発生してもおかしくない国なので、それだけ急を要していたということですね。1日でも早くこのプロジェクトを完遂させ、電力供給に不安のない環境を届けたい。その情熱だけを頼りに、みんなで突っ走ってきた感じです」(菊地)

STORY 02

会社初の装置導入を成功させるため、
技術者は欧州へ飛んだ。

このプロジェクトは中部電力(株)と東京電力(株)(ともに当時)が請け負った。しかし、全国の電力会社9社の出資によるものだったため、一切の無駄を省き、皆が納得できる費用で建設しなければならない。コストダウンは至上命題だった。
一方で、社会インフラとして多くの人々の暮らしを支える施設である以上、信頼性の確保も絶対的なテーマだ。その相反する課題を実現させるために世界を駆け回ったのが、「高調波フィルタ」と呼ばれる装置の調達を担当した中信だ。

「本当に必要な設備形態とは何か。過去の実績にとらわれず、関係者の間で自由に議論を重ねました。その結果、海外メーカーの高調波フィルタの導入を検討してみようと決まったのです。これは長い歴史をもつ当社としても初めての試みでした」(中信)

高調波フィルタは、電気を融通する際に発生する高調波を吸収する装置のことで、高品質な電力の供給に不可欠な装置。確かに海外製の高調波フィルタは価格面で優れていた。しかし、例えコストがかかっても「壊れにくく長く使えるものを」という思想でつくられる国内製品に比べると、計画当初は品質面に心配が残った。

「安価とはいえ、当初はやはり導入に抵抗感があったのは否めません。しかし、スウェーデン本社のほか、ドイツやオーストリアにある関連メーカーに足を運ぶうちに、そのネガティブなイメージは、根拠の薄い先入観でしかなかったことに気がついたのです」(中信)

あるとき、海外メーカーのエンジニアがこう言った。「僕たちだって金をかければ壊れないものをつくれる」と。厳しい競争の中で仕様を満たす範囲でコストパフォーマンス優先の開発スタイルになっているだけで、むしろ一つ一つの技術力は非常に高いレベルにある。そのことに気づいた中信の頭から当初感じていた海外製品のネガティブイメージが払拭された。

「当初は完全な日本仕様で高調波フィルタを製作しようとしていましたが、信頼度を落とさない範囲でそのメーカーの良さ、特徴を取り入れることとしました。結果的に、装置づくりは彼らの設計思想を変えずに、我々はシステム構成を工夫することで信頼性を確保していこうと。このやり方がうまくいきました」(中信)

今回の一連の経験を通じて、彼はものづくりに対する考え方が変わったという。
「私自身の話をすれば、海外メーカー製品への見方、ものづくりの捉え方が一変したことが大きな収穫ですね。準拠する規格の違いなどに目がいきがちですが、よりよいものづくりのためには必要なものを積極的に取り入れていくべきだと。今回の経験は、今後の仕事に必ず役立つと確信しています」(中信)

STORY 03

過去にたった一例しかない難工事。
その行く手を悪天候が阻む。

飛騨変換所で使う電気は、基幹の送電線から分岐させて引き込む。その送電設備の設計から施工までを担ったのが、この尾崎だ。2017年にこのプロジェクトにアサインされる前にも同様の送電設備を手がけてきた彼だが、今回のものは規模から何からまったく異なるという。

「今回は当社で一番電圧区分の大きい50万ボルト送電設備という案件で、初めて経験する領域です。さらに、当社としても50万ボルトから分岐させる送電線は30年前に一例あるのみで、まずは当時の資料を読みあさることから始めました」(尾崎)

事故などで仮に送電が止まることがあれば、中部エリア全体への電力供給に支障が出てしまう。50万ボルトの送電線に桁違いの信頼性が求められるのはそのためだ。設計は当時の資料を参考にしながら、細部に至るまで綿密に進められた。

「設備の規模も桁違いです。街中であれば、基本的に送電線は1導体(3本)です。しかし、飛騨変換所では容量増強のため6導体送電線(18本)を採用しています。その名の通り、電線を6本使って6倍の電気を送るということですね。さらに今回建設した鉄塔は高さ129m、重さ500tという巨大さで、施工物量も非常に多く、短い工期での対応に苦慮しました」(尾崎)

工事は9月〜12月にかけて行われた。果たして降雪までに終わるのか。台風はどうか。現場管理を担う尾崎は気が気でなかった。しかし、自然は人間の都合などお構いなしといった具合で、工期中に3度の台風と、例年より早い降雪に見舞われることになる。

「国家プロジェクトですから、とにかく工期は厳守です。悪天候でも鉄塔に登り施工しなければ間に合わないという事態に度々直面しました。私は施工会社の方と作業手順を何度も見直し、安全性の確保を徹底しながら慎重に進めましたが、どれだけ万全な対策を取っていても絶対はありません。毎回『無事に終わって欲しい』と祈るような気持ちで作業を見守っていました」(尾崎)

そして最も困難だったのが、設置した送電線に電気を流す試験だったという。
「この試験は、工事真っ只中の飛騨変換所の一部を使わなければ実施できません。飛騨変換所の様々な設備に携わる多くの方々の作業を縫うように行うため、試験の種類や方法、電気を流すタイミング、その際の人員配置などについて変換所の技術者たちと入念に準備を行いました。みなさん大変な時期なのに快く応じてくれて、同じ目標に向かう仲間たちとの一体感を感じることができました」(尾崎)

周囲の協力もあって、試験は無事終了。現在は運開を待つばかりの身だ。
「私の話だけをすれば確かにやりきった達成感はありますが、まだ多くの仲間がギリギリまで工事にあたっています。3月末の完工までは喜べませんね」(尾崎)

STORY 04

300名が稼働する工程を、
パズルのように組み替えていく。

関西出身の西垣は、ある特別な思いを持ってこのプロジェクトに参加した。
「小学生の時、阪神淡路大震災を経験しました。停電による暗闇の中で電気の重要性を肌で知って以降、この道に進もうと決めてこれまでやってきました。ですので、災害時に重要となるこのプロジェクトに参加できると決まった時は、やはり嬉しかったですね」(西垣)

飛騨変換所において、彼は変電機器の設置および試験などを担当した。工事は1日に最大で300名が動員される大規模なもので、多くの部門、多くの施工会社がそれぞれの工事に携わる中、いかに安全かつ効率に優れた工程を組むかが問われていた。
「通常の工事であれば、まず土地を造成して、基礎をつくり、建物を建てて、そこに設備を入れるという順番で工程を組みます。しかし、このプロジェクトは時間的にそんな余裕がありません。だから各部門が同時並行で工事を進めるのですが、どうしても作業がバッティングしてしまい、場所の取り合いのような事態に発展してしまうんですね。順番を組み替えつつ、すべての辻褄が合うように組み替えるのですが、これが難航しました」(西垣)

単純に空いている時間に工事をずらせばいいわけではない。そこにこの仕事の難しさがある。
「工程には前後関係があって。この作業を先にやらないと次の工程ができないという都合も考慮しなければなりません。私の専門外の工事もありますので、どこで何が行われているのか、それぞれをしっかり把握しないと割り振ることができないんです。多い時で5部門、10社以上の協力会社さんの作業をパズルのように組み替えて調整していきました」(西垣)

台風などの外的要因で工事が予定通りに進まなくなることもある。工事の順番を決める際、部門同士で揉めることはなかったのだろうか。
「意見がぶつかることはしょっちゅうでした。でも、みんなの目的は同じ、3月末の完工です。どうすべきか迷った時は『完工を考えた時、最適な工程はどれだ?』と立ち戻ることができたので、揉めるようなことはなかったですね。やっていくうちに相互理解が進んだことで、工程調整もスムーズに進むようになっていきました」(西垣)

では、数々の苦労を、彼はどのような気持ちで乗り越えてきたのか。
「短い工期に追われ、管理する立場の私も確かに苦しいです。でも、苦しいのは自分だけじゃない。今もこれまでも、飛騨変換所の工事には多くの人が関わってきました。そのすべての人が同じ思いで一つのゴールに向かっています。そのバトンを途切れさせては行けない。その思いが原動力になりました」(西垣)

STORY 05

この先も暮らしをずっと守り続ける。
その責任感と誇りを胸に。

プロジェクトの開始から8年が経とうとする現在、広大な土地に巨大な設備がその全貌を現し始めた。当初は「あくまで目標」でしかなかった2021年度末の運開は現実となり、目前に迫っている。
誰も経験したことがないほどの巨大な工事。関わるすべての人たちが何度も壁にぶつかり、その度に乗り越えてきた。ここまでたどり着いた今だからこそ思うこと、描く未来をそれぞれがどう考えているのだろうか。

「作業に追われ忙しい日々を過ごすうちに、自分たちが何のためにがんばっているのか、その意義を見失うこともあります。だから私は『飛騨変換所が果たすべき役割』を常に確認しながら、みんなのベクトルが一致するよう心がけていました。それがチーム一丸で工事に取り組めた理由だと思います。みなさんのおかげでここまでこれたことに、本当に感謝しています。運開まであと一歩、気を抜かずにがんばります」(菊地)

「数々の壁を乗り越えられた原動力の一つは、社会課題の解決につながるものづくりをしているという自負です。工事期間中に電力需給が逼迫し『飛騨変換所をすぐにでも使いたい!』という声が寄せられたこともあって、世の中から必要とされているんだなと肌で感じていました。運開まであとわずかですが、何年間も同じメンバーでずっとやってきたので、解散してしまうのは寂しいという気持ちも正直あります」(中信)

「今回のプロジェクトでは、『この国の人々を守る設備をつくっている』という仕事のやりがいを改めて感じることができました。設計や工事においては初めての経験が多く、どうすればいいのか分からないというケースにしばしば直面しましたが、『自分のつくったものが未来の電力の安定供給を担う』『100年、200年先も残るものをつくっている』と思えば、目の前の悩みも小さなものに思えました」(尾崎)

「50〜60Hz間の電力融通が積極的に行われることで、社会に貢献する飛騨変換所の勇姿を見ることが楽しみですね。無事に運開した暁には、ここまで支えてくれた取引先のみなさん、社内の関係各位、ともに苦労を分かち合った先輩や同僚たちに感謝を伝えたいです。特に、私がずっと家を空けている間、幼い子どものいる家庭を支えてくれた妻には感謝してもしきれません。戻ったら家族サービスに努めようと思います」(西垣)

飛騨変換所は、悲劇的な震災から再び立ち上がり、電力の新時代の幕開けを告げる象徴の一つになるだろう。彼らが自らつくり上げたバトンは次の世代へ、さらにその次へと脈々と受け継がれ、この国の灯火を守り続けることになる。

※本記事は2021年2月取材時点の情報です。

再生可能エネルギーの開発に注力 再生可能エネルギーの開発に注力
電力取引・再エネ普及の活性化も担う

この10年間で電力事業を取り巻く環境も大きく様変わりした。代表的な例が電力自由化だ。飛騨変換所には災害時の対応だけでなく、東日本・西日本間の電力取引の活性化という役割も期待されている。また、大規模な再生可能エネルギー普及のためにも、地域間系統連系容量の増加は必要不可欠だ。飛騨変換所は、日本の電力ビジネスをより豊かなものにしていくという使命も担っているといえる。